話 1
妊娠8ヶ月、愛する夫と幸せな家庭を築いていると信じていた。
しかしある日、夫の書斎で、私たちが出会う前の日付が記された「精管結紮術」の診療明細書を見つけてしまった。
真相を確かめるため夫の会社へ向かうと、会議室から信じられない会話が聞こえてきた。
「沙耶花のお腹の子供の父親は誰か、みんなで賭けようぜ!」
夫は毎晩私に睡眠薬を飲ませて悪友たちに私の体を共有させ、さらには私に薬を盛って流産させる計画まで立てていたのだ。
そしてパーティーの夜、私は彼らの手によって意識を奪われ、激痛の中で我が子を失った。
血に染まったシーツを見つめながら、私の心は完全に死に絶え、絶望は冷たい怒りへと変わった。
退院の日、私は静かに証拠を警察に提出した。隠しカメラの映像、チャットの履歴、パーティーでの録音——それらが、彼らを法の裁きへと導いた。
これからは過去を捨て、私だけの新しい人生を生きる。
第1章
―― 石田沙耶花 ――
夫と幸せな家庭を築いていると信じていた私、石田沙耶花は、妊娠8ヶ月のある日、偶然夫の秘密を知ってしまった。それは、私の世界を根底から揺るがす、あまりにも残酷な真実だった。
私は五十嵐勇史の妻。夫はITベンチャー企業の社長で、周りからは誰もが羨む愛妻家だった。私自身も、夫に深く愛されていると信じていた。私たちの甘い新婚生活は、妊娠を機に最高潮に達したかに見えた。あと2ヶ月で、可愛い赤ちゃんが生まれてくる。そう思っていた。
ある日、夫の書斎を掃除している時だった。普段は触らない書類の山を整理していると、夫の医療関係の書類がまとめられたファイルが目に入った。なぜか嫌な予感がした。ファイルを開くと、一通の診療明細書が挟まっていた。そこには「精管結紮術」の文字と、夫の名前、そして手術日が記されていた。それは、私たちが出会う前の日付だった。
頭が真っ白になった。精管結紮術。それは、男性が子供を産めなくするための手術だ。私は今、妊娠8ヶ月。お腹の中には、夫の子だと信じて疑わなかった命が宿っている。しかし、この診療明細書が示す事実は、その全てを否定していた。私の体は重く、お腹の中で赤ちゃんが元気に動いている。その度に、私は未来への希望に満ち溢れていた。しかし、この一枚の紙切れが、その全てを根底から覆した。
吐き気が込み上げた。脳が理解を拒否する。これは何かの間違いだ。夫が私を裏切るなんて、そんなはずがない。しかし、手の中の明細書は冷たく、現実を突きつけていた。心臓が暴れ狂い、全身の血が凍りつくのを感じた。目の前が真っ暗になり、立っているのがやっとだった。嘘だ。全てが嘘だったのか。私が信じていた愛は、全て偽物だったのか。
私はすぐに真実を突き止める必要があった。このままでは息ができない。夫に直接問い詰めるべきか。いや、それでは証拠を隠されるかもしれない。私は冷静になろうと努めた。震える足でリビングの椅子にへたり込んだが、座っても落ち着かなかった。混乱と絶望の中、私は一つの決断を下した。夫の会社へ行く。そこに、答えがあるかもしれない。
タクシーを呼んだ。運転手に会社の住所を告げた。車窓から流れる見慣れた景色も、今は全てが歪んで見えた。お腹の重みが、いつもの倍以上に感じられた。私の体は疲弊しきっていたが、真実を知りたいという衝動が、全ての身体的な不快感を凌駕した。恐怖と怒りが入り混じった感情が、私を突き動かした。
夫の会社は、都心にそびえ立つモダンな高層ビルの中にあった。受付で夫の名前を告げると、秘書が「社長は会議中です。もう少々お待ちください」と言った。私はソファに座り、待つことにした。しかし、どこからか、聞き覚えのある夫の声が聞こえてきた。どうやら、会議室のドアが少し開いているようだった。私は無意識に、声のする方へ耳を傾けた。
会議室からは、いくつかの男たちの笑い声が響いていた。乾いた、不愉快な笑い声だった。その中に、夫、勇史の声が混じっていた。私の胸に、さらなる不安が広がった。彼らの会話は、どんどん大きくなっていった。まるで、私を嘲笑っているかのように響いた。私は立ち上がり、会議室のドアにそっと近づいた。
「沙耶花のお腹の子供の父親は誰か?」
その言葉が、私の耳に飛び込んできた。夫の声だった。私の全身の血の気が引いた。心臓が止まるかと思った。彼らは私の子供の父親を賭けて、数千万円の賭けをしていると話していた。勇史は毎晩私に睡眠薬を飲ませ、意識のない私を悪友たちに共有させていたと。彼の口から語られるおぞましい事実に、私はその場に立ち尽くした。
「杏莉が海外に行ったのは、沙耶花のせいだ。あいつが邪魔をしたからだ」
勇史の声が、冷たく響いた。杏莉。勇史の養妹、谷川杏莉。勇史は、杏莉を盲目的に愛していた。そして、杏莉が海外留学したのは、私のせいだと逆恨みしていたのだ。私を地獄に突き落とすことが、彼にとっての復讐だった。私はただの道具だった。彼らの汚れた遊びの道具として扱われていた。
悪友の一人、新田晴翔の声が聞こえた。
「沙耶花は本当にバカだよな。俺たちの手の上で踊ってるだけだ」
彼の言葉に、他の男たちも下卑た笑い声を上げた。彼らは私を徹底的に見下していた。私の人生を、彼らはゲームの駒のように扱っていた。私の未来は、彼らの勝手な予想によって語られた。孤独で、誰にも愛されず、父親も分からない子供を抱えて生きていく。それが彼らの描く私の未来だった。彼らは私の絶望を、心から楽しんでいるようだった。
「勇史、お前の賭け金はいくらだ?」晴翔が尋ねた。
「数千万円だ。この子のおかげで、俺は大金を手に入れる」勇史は笑った。
私の子供が、彼らの賭けの対象だった。私の体は震えが止まらなかった。彼らの言葉が、私の心を切り刻む。私が信じていた全てが、偽りの愛だった。夫の優しい言葉も、温かい眼差しも、全てが復讐のための演技だった。私の愛は、愚かにも彼らの手の上で弄ばれていた。
私の頭の中に、一つの決意が芽生えた。絶望は、いつの間にか冷たい怒りに変わっていた。彼らを許すことはできない。私の子供を、私の尊厳を、踏みにじった代償は、必ず払わせる。私は必ず、彼らに報復する。
私は音を立てないように、ゆっくりと会議室のドアから離れた。踵を返し、来た道を戻る。もう、この場所に用はなかった。私の心は、冷たい復讐心で満たされていた。私の足取りは、いつの間にか力強くなっていた。
私はスマートフォンを取り出し、親友の由美にメッセージを送った。「助けて。話したいことがあるの」。由美はすぐに返事をくれた。私は震える指で「ありがとう」と打ち返し、タクシーに乗り込んだ。まずは、信頼できる誰かに話を聞いてもらわなければ、正気を保てそうになかった。
話 2
―― 石田沙耶花 ――
由美の家に着くと、私は堰を切ったように全てを話した。夫の診療明細書のこと、会社で聞いてしまった会話のこと、彼らが私に睡眠薬を飲ませていたこと、そして私のお腹の子供の父親を賭けていること。由美は顔色を失い、私の手を握りしめた。
「沙耶花、そんな…信じられない」
「私も信じたくなかった。でも、全部本当のことなの」
由美はしばらく黙っていたが、やがて顔を上げ、私の目をまっすぐに見つめた。
「沙耶花、これは犯罪よ。警察に行くべきだわ」
私は首を横に振った。「まだだめ。確実な証拠がないと、彼らはきっと言い逃れる。それに…勇史は私が何も知らないと思っている。その油断を利用したいの」
由美はしばらく考え込んでいたが、静かに頷いた。
「分かったわ。でも、一人で抱え込まないで。私にできることがあれば、何でも言って」
由美の言葉に、私は少しだけ救われた気がした。一人じゃない。その思いが、私の凍りかけた心を微かに温めた。
由美の家から戻ると、私はすぐに動き始めた。スマートフォンを取り出し、小型カメラの購入サイトを開いた。そして、隠しカメラをいくつか注文した。彼らの犯罪の証拠を、必ず掴む。そして、彼らが私の人生を破壊したように、私も彼らの人生を破壊してやる。
勇史は、私が彼らの会話を聞いていたことなど、夢にも思っていないだろう。彼が私を「愚かな女」と見下せば見下すほど、私は動きやすくなる。この家の中で、私は今日から別人として生きる。彼らの目には従順な妻と映りながら、その裏で全てを記録する——それが、私の最初の復讐だ。
話 3
―― 石田沙耶花 ――
彼らの会話を聞いてから、私は家に戻った。私の心は凍りつき、顔には何も感情が表れていなかった。夫の勇史は、私が帰宅しても、いつも通りの優しい笑顔で私を迎えた。その偽りの笑顔が、私の心をさらに深く傷つけた。
「沙耶花、おかえり。疲れただろう? 温かいココアを淹れたよ」
勇史は、私にココアの入ったマグカップを差し出した。彼の言葉も、その仕草も、全てが偽りだった。私は彼の手からマグカップを受け取った。ココアからは、甘い香りが漂っていた。しかし、私の心は警戒していた。彼は私に、毎晩睡眠薬を飲ませていたのだから。
「勇史、ありがとう。でも、今は気分じゃないの。後でいただくわ」
私はココアを一口も飲まずに、テーブルに置いた。勇史の表情が、一瞬にして曇った。彼の笑顔の裏に隠された不満が、私にははっきりと見えた。彼は私に、ココアを飲むことを強要し始めた。
「どうしたんだい? せっかく淹れたのに。ほら、温かいうちに飲んで」
彼の声には、僅かながら強要のニュアンスが混じっていた。私は彼の言葉に、ますます警戒心を強めた。このココアには、きっと何か入っている。私は彼の目を見た。彼の目は、優しく微笑んでいるように見えたが、その奥には冷たい光が宿っていた。
「ごめんなさい、勇史。本当に気分が悪くて。今は何も飲みたくないの」
私は再び、ココアを拒否した。勇史の顔から、完全に笑顔が消えた。彼の目は、私を射抜くように見つめていた。まるで、私が彼の命令に背いたことに、怒りを感じているかのように。
「沙耶花。俺の言うことが聞けないのか?」
彼の声は、低く、冷たかった。私は身震いした。彼の言葉には、隠しきれない威圧感が込められていた。私はこの男に、逆らうことができないと知っていた。彼の笑顔の裏には、恐ろしい本性が隠されている。私はその本性を、身をもって知ったばかりだった。
私は諦めて、ココアに口をつけた。甘いココアの味が、私の口の中に広がった。しかし、私の心は、その甘さを一切感じなかった。無理やり飲み干すと、勇史の顔に再び笑顔が戻った。その笑顔は、私にとって地獄の光景だった。
数分後、私の体は鉛のように重くなった。意識が朦朧とし、眠気が襲ってきた。勇史の入れたココアには、やはり睡眠薬が混入されていたのだ。視界がぼやけ、何人かの男たちの影が、私の視界を横切った。彼らの顔は判別できなかったが、その存在は私に恐怖を与えた。私の意識は、そこで途切れた。
翌朝、私は激しい頭痛と倦怠感で目覚めた。体中が重く、まるで何かに襲われた後のようだった。勇史はすでに起きていて、私に「おはよう」と声をかけた。彼は何事もなかったかのように、私に優しく微笑んだ。私は彼の偽りの笑顔に、吐き気が込み上げた。
勇史は会社へ出かける準備をしていた。私は彼が出かけるのを待ち、彼が玄関のドアを閉める音を聞いた。彼が家を出て行ったことを確認すると、私はベッドからゆっくりと体を起こした。私は昨日注文した隠しカメラを、すぐに設置しなければならなかった。
私はリビングの棚の上、寝室のベッドの下、そしてバスルームの隅に、それぞれ小型カメラを設置した。全てのカメラが正常に作動していることを確認した。彼らの恐ろしい犯行の証拠を、私は必ず掴む。
全ての準備を終えると、私は昨夜の出来事を思い返した。勇史が私にココアを飲ませ、その後に意識が途切れたこと。そして、今朝の体の不快感。私は、彼が悪友たちと私を共有させていた、という会話を思い出し、背筋が凍りついた。私はすぐに、カメラの映像を確認する必要があった。
リビングに設置したカメラの映像を再生した。そこに映っていたのは、私を覆い尽くすおぞましい光景だった。勇史と、彼の下劣な悪友たちが、意識のない私を弄んでいた。私の体は震え、涙が止まらなかった。彼らは私の尊厳を、私の体を、徹底的に踏みにじっていた。
映像はさらに続いた。彼らは休憩を取るように、リビングで談笑していた。勇史と杏莉が抱き合っている姿が映し出された。杏莉は勇史の養妹。その事実が、私の心をさらに深く傷つけた。彼らは私を裏切り、私を弄びながら、互いに愛し合っていたのだ。
新田晴翔が勇史に問いかけた。
「勇史、沙耶花、可哀想だとは思わないのか?」
晴翔は、まるで罪悪感に苛まれているかのように見えた。しかし、彼の言葉は、私には偽善にしか聞こえなかった。
勇史は冷酷な笑みを浮かべ、晴翔に答えた。
「沙耶花が杏莉を海外に追い出したんだ。奴にはこれくらいの償いをさせるのが当然だ」
彼の言葉は、私への復讐心に満ちていた。彼は私に、杏莉が海外に行ったことの責任を押し付け、私を徹底的に苦しめようとしていた。
その時、見知らぬ男が部屋に入ってきた。彼もまた、勇史の悪友の一人だったのだろう。彼らは、私のお腹の子供の父親を賭ける計画について話し始めた。彼らは賭け金の増額について話し合い、杏莉の帰国パーティーで賭けを終わらせることを決めた。
「パーティーで、沙耶花に薬を盛って、全てを終わらせるんだ」
彼らはそう言った。私の体は、映像に映る彼らの会話を聞いて、さらに強く震えた。彼らは私の子供を、パーティーの場で流産させようと計画していた。その事実が、私の心を深く抉った。
晴翔は、私が飲んだ睡眠薬の効果を試すように、私の体に乱暴に触れた。彼は私の意識がないことを確認し、満足そうに笑った。彼らは私を、ただの物として扱っていた。私の体は、彼らにとって、単なる娯楽の道具でしかなかった。
勇史と晴翔は、私の部屋を出て行った。私の心は絶望に包まれた。彼らの会話、彼らの行為。全てが私を深く傷つけた。私は、ただ涙を流すことしかできなかった。
映像を確認した後、私は処方された睡眠薬を手に取った。しかし、私はそれを飲むことはしなかった。私は彼らに、決して屈しない。私は必ず、彼らに復讐する。
その時、玄関のドアが開く音がした。勇史が、忘れ物を取りに戻ってきたのだ。私は咄嗟に、睡眠薬をベッドの下に隠した。勇史は私の部屋に入ってきた。
「沙耶花、大丈夫か? 顔色が悪いようだが」
勇史は、心配そうな顔で私に近づいた。彼の偽りの優しさが、私の心をさらに抉った。私は彼を睨みつけたかったが、その怒りを必死に抑え込んだ。
「ええ、大丈夫よ。少し、体がだるいだけ」
私は努めて平静を装い、彼に答えた。彼は私の言葉を信じたようだった。彼の表情は、一瞬にして和らいだ。私が彼を欺いたことに、私は密かな喜びを感じた。
勇史は、「そうか、ならよかった」と言って、再び部屋を出て行った。彼が再び家を出て行くのを確認すると、私はベッドから飛び起きた。私は彼のスマートフォンを手に取った。彼はいつも、スマートフォンをリビングのテーブルに置きっぱなしにしていたからだ。
彼のスマートフォンには、二重システムが存在していた。一つは私に見せている普通の画面。もう一つは、彼が私に隠している秘密のシステムだった。私は彼の顔認証を使って——彼が眠っている間に、私が自分の指紋も登録しておいたのだ——その秘密のシステムにアクセスした。そこには、勇史と杏莉が抱き合っている写真が、壁紙として設定されていた。その光景が、私の心をさらに深く傷つけた。
彼のスマートフォンには、いくつかのメッセージアプリがインストールされていた。その中の一つに、「悪友たちの宴」というグループチャットがあった。私はそのチャットを開いた。
これが、彼らの罪の全てを記録した帳簿になる。私はスクリーンショットを一枚ずつ、慎重に保存していった。一滴の証拠も逃さないように。