話 2
数日後、初晴はシンプルな白いキャミソールワンピースを身にまとい、一人で市郊外のひっそりとした小さな教会に立っていた。
彼女は、
一度も会ったことのない男と結婚しようとしていた。
正式なウェディングドレスは借りなかった。 こんなことにお金をかける気はなかったからだ。 節約したお金はすべて、梅乃の治療費に充てたかった。
花屋では、白いカスミソウの花束を安く買い、店主に頼んで純白のリボンを一本もらい、それで髪を簡単に束ねた。 幸い、初晴自身が秀麗な容姿と際立った気品を備えていたため、そのシンプルな装いはかえって彼女の清らかで俗離れした雰囲気を引き立てていた。
約束の結婚式の時刻は過ぎたが、花婿は一向に現れない。 教会はがらんとしており、式に参列する客も数えるほどしかいなかった。
文彦は初晴を慰めるように言った。 「焦るな、道が混んでいるのかもしれない。 もう少し待ってみよう」
初晴の呼吸が、一瞬止まった。
これから夫となる男について、彼女も噂を耳にしていた。 相手の名は瑛士。 定職にも就かず、ぶらぶらしている男だという。
そんな、まったく知らない男と結婚しなければならない。 初晴の心は不安でいっぱいだったが、彼女に選択の余地はなかった。
「花婿のほうは、親族が一人も来ていないのかしら?」 若葉は眉をひそめ、数えるほどしかいない教会の庭を見渡した。 彼女は今日、淡い紫のロングドレスをまとい、精巧な化粧を施している。 その優雅で高貴な装いは、穏やかで争いを好まない女性のように見えた。
神崎家がこの結婚式を重視していないのは明らかだったが、初晴自身も形式にはこだわらなかった。 彼女が唯一心配しているのは、梅乃の治療費のことだけだ。
初晴は声を潜めて若葉に尋ねた。 「結婚式が終わったら、すぐにお金をくれるのよね?」
梅乃を生き長らえさせるための治療費を工面するため、彼女は養父母の要求を受け入れ、自分の結婚と引き換えにその金を受け取ることに同意したのだ。
「もうすぐ家族になるのに、お金のことばかり口にするのはやめなさい」若葉は優しい口調で言ったが、そこにはわずかな苛立ちが滲んでいた。 「心配しなくても、 お金は一円たりともごまかさないわ、 もう何度も聞かないで」
その時、初雪も到着した。
彼女は高級オートクチュールのドレスをまとい、豪華な宝飾品を身につけ、悠真の腕に絡みつき、得意満面といった様子で教会に入ってきた。
初雪はまっすぐ文彦と若葉のそばへ歩み寄り、その顔には勝利の笑みが浮かんでいた。 彼女は初晴の恋人を奪い、初晴は今、貧乏で名もない“非嫡出子”と結婚するしかないのだ。
悠真は、白いワンピース姿の初晴をじっと見つめ、後悔と罪悪感に苛まれ、魂が抜けたような表情をしていた。
自分の裏切りのせいで、愛する女性が他の男と結婚しようとしている。
彼は今日、この結婚式に来たくなかった。 初雪が無理やり連れてきたのだ。 初雪の妊娠を知って以来、彼は彼女と一緒にいることを強いられていた。
教会に入ってから、悠真の視線は初晴から離れることがなかった。 初雪がそれを許容できるはずもなかった。
昔からずっとそうだった。 今も昔も、初晴がいるだけで、すべての人の視線が彼女に吸い寄せられるのだ。
嫉妬と不満がこみ上げ、初雪はお嬢様気質を爆発させ、場所もわきまえず罵声を浴びせた。 彼女は悠真に向かって叫んだ。 「まだ見てるの!その目、えぐり出してやろうか!あんな下品な女のどこがいいっていうのよ!」
悠真を罵り終えると、今度は初晴に向き直り、大声で嘲笑った。 「花婿はまだ来ないの? 自分の結婚式に遅れるなんて、 まともな人間じゃないわね、 それに、 男の親族が一人も来ていないなんて、 この“非嫡出子”、 家では本当に嫌われているのね」
このような言葉は、初雪が家で言い慣れているものであり、誰も彼女を責めることはなかった。 しかし、ここは公共の場であり、しかも彼女は花嫁の妹である。 その無礼で放肆な言動は、すでに周囲の客のひそひそ話を引き起こしていた。
初晴はスカートの裾をたくし上げ、一歩前に出た。 これまで、初雪がどれほど意地悪で放肆であろうと、彼女は何度も我慢してきた。 しかし、今回はその眼差しが氷のように冷たくなり、響き渡る厳しい声で叱責した。 「初雪、 “非嫡出子非嫡出子”と呼ぶのはやめて、 場所をわきまえて、 言葉に気をつけなさい、 あなたは最低限の礼儀も知らないの?」
初雪はその気迫に圧倒され、一瞬呆然とした。 彼女は初晴がこのような姿を見せるのを初めて見た。 彼女の印象では、姉はいつも言いなりになる存在だったのだ。
教会内が静まり返ったその時、固く閉ざされていた扉が突然、外から押し開けられた。
眩い日差しの中、一人の人影が逆光を背に歩み入ってきた。 それは、背が高く、肩幅が広く、脚の長い男だった。
教会の扉がゆっくりと閉まり、男は顔を上げた。 彼は深い黒い瞳で前方を見渡し、薄い唇を固く結んでいる。 節くれだった指でスーツのジャケットのボタンを留めており、慌てて駆けつけたことが見て取れた。
その容貌は、まるで創造主のすべての寵愛を受けたかのように比類なく美しく、一瞥しただけで、誰もが目を奪われ、視線を逸らすことができなかった。
話 3
その場にいた賓客たちは皆、目の前の男が放つ抜きん出た気品と端正な容姿に目を奪われていた。
初雪の目が輝いた。 このハンサムな男は、きっと瑛士の二人の兄のどちらかに違いないと直感した。 神崎家は名門中の名門だ。 瑛士のような卑しい出自の私生子が、このような場に出入りする資格などあるはずがない。 この家の正当な御曹司は、彼の二人の兄だけなのだ。
しかも、瑛士の兄がこれほどまでにハンサムで、スタイルも気品も抜きん出ているとは、初雪は思いもしなかった。 彼女はもともと悠真もイケメンだと思っていたが、目の前の男と比べると、悠真は途端に色褪せて見え、まったく比較にならない。
初雪は歩み寄り、優しく挨拶した。 この男の目をまっすぐに見つめるだけで、頬が熱くなるのを感じる。 「あの、あなたは瑛士のお兄様でいらっしゃいますか? 花婿側の賓客はまだ多く到着していませんから、どうぞお席におかけになってお待ちください。 結婚式はもう少し後になるかと存じます」
初雪は彼の連絡先を聞きたいとさえ思ったが、今の状況を考えると、話しかけるのが精一杯で、それ以上の行動に出る勇気はなかった。
しかし、そのきっちりとしたスーツを着こなした男は、初雪に目もくれず、まるで彼女が存在しないかのように、まっすぐ初晴の方へと歩いていった。
初雪は気まずくその場に取り残され、顔に浮かべていた恥じらいと優しげな表情が、瞬時に凍りついた。
彼女は腹を立てて自分の席に戻った。 あのハンサムな男が初晴の隣に立っているのを見て、ようやく理解した――彼こそが花婿の瑛士なのだと。 その事実に、彼女は極度の衝撃を受けた。
瑛士が、どうしてこんなにハンサムなのだろう?
初雪は母の若葉の耳元に顔を寄せ、 小声で不平を漏らした。 「お母さん、 どうして前もって写真を見せてくれなかったの? もし瑛士がこんな顔だって知ってたら、 初晴の代わりに私が嫁ぐなんて、 絶対に言わなかったのに!」
若葉は深く息を吸い込み、顔に浮かべていた穏やかな笑みをかろうじて保っていた。 彼女は顔を横に向け、不満げな娘を睨みつけるように言った。 「お前はまだ若いから分からないだろうが、いずれ大人になれば分かる。 男の顔なんて、まったく重要じゃないんだ。 この瑛士は、将来性のない、まともな仕事も持たないチンピラに過ぎない。 見かけ倒しで、何の役にも立たない男さ。 初晴のような人間にはお似合いだよ。 一生、社会の底辺で貧しい生活を送る運命なんだから!」
初雪はすぐに口を閉ざしたが、心の中ではまだ憤慨していた。 いつも良いことは初晴が独り占めしていると感じていたのに、今回もこんなにハンサムな男と結婚するなんて、悔しくてたまらない。
瑛士は初晴のそばに歩み寄り、何気なく彼女を一瞥すると、眉間を掻きながら、平坦な口調で言った。 「さっき私用を片付けていた。 遅れてすまない」
「大丈夫」 初晴は特に気にも留めず、瑛士には少なくともハンサムな顔がある、と心の中で思うだけだった。
彼女が視線を外そうとしたその時、視界の端に、瑛士の手首に輝くパテック・フィリップの腕時計が映り込んだ。 照明の下で、それはひときわ眩しく輝いている。
生活は苦しかったが、初晴もまったく見る目がなかったわけではない。 彼女は一目で、その腕時計が少なくとも数千万円の価値があることを悟り、驚きの色を浮かべた。
瑛士は貧乏ではなかったのか? どうしてこんなに高価な腕時計を買えるのだろうか?!